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パワースポットって行く意味ある?【本当の根拠を徹底解説】

パワースポットに行くのって、本当に意味があるの?――。

ちまたで噂されるパワースポットの中には、「東京タワー」や「ららぽーと」など、少し眉唾の場所もあります。

管理人は基本「面白いから良しとする」スタンスですが、さすがに「システムパーク駐車場」などはやり過ぎの感が否めません…。

でっち上げるのは簡単でも、事実を証明するのが難しい――。

そんなバランスの悪さから、パワースポットに「正義のメス」を入れようとする人が増えています。

 

今回は、「そもそもパワースポットはと何か」「ご利益はあるのか」などの基本的な話題についてまとめました。

Contents

パワースポットとは何か

パワースポットというのは、いわば「目に見えない力が働く場所」のことです。

信仰が生まれる聖地であったり、神仏とのアクセスを試みる祭壇であったり、天に近い山であったり、心身がリフレッシュされる滝であったり。

パワースポットというのは、歴史の浅い「造語」ですが、神様との距離感がフワッとしている日本人の感覚からすると、これ以上にマッチした言葉はありません

だからこそ、言葉の定義が曖昧(あいまい)なまま、すんなりと受け入れられ、ここまで広まったわけです。

 

パワースポットは、言葉の響きも「ほどよい軽さ」を保っています。

「霊験」ほどの固さも、「スピリチュアル」ほどの重さもないニュアンスで、日本人の「見えない力にまつわる世界観」に相容れます。



神社仏閣にご利益はない!?

ただ、パワースポットが世間の注目を集めるに連れ、「意味がない」「効果がない」という意見も目立つようになってきました。

もしそれが事実だとすれば、神社もお寺もすべて「でっち上げの施設」ということになります。

ただ、心の底からそう言い切る人は、ごく少数派です。

 

世界のなかでも日本は「無神論者が多い国」といわれますが、これも不正解と言わざるを得ません。

実際のところ、無神論者ではなく「無宗教」の立場をとる人が多いイメージです。

というのも多くの日本人は、罰当たりな行為に強い抵抗を感じ、困ったときに神仏にすがるからです

 

ようするに、見えない力の存在について白黒つけられず、信仰心の一貫していない人が多いわけです。

それが「日本独特の宗教観」ともいえます。

また、パワースポットに対する否定的な見方の先には、少なからずとも、地下鉄サリン事件などに端を発する「宗教アレルギー」があるものとみられます。



パワースポットのてがかりは「体感」

実際、「ご利益」や「ご加護」、「神気」など、パワースポットにまつわる見えない力を実証するのは、難しいものです。

特殊な力を持って生まれた人や、修行を積んだ僧侶などでなければ、神仏の声を聞いたり、気配を捉えたりするのが困難だからです。

「限られた人の体感の中にしかない世界」というのがまた、うさん臭さを増幅させています。

 

ただ逆に言うと、神秘的なご利益や見えない力を一度味わってしまえば、パワースポットに対する「疑いの目」も薄れるはずです。

見えない未知の力を体感するには、市民権を得た「気功」あたりがおすすめです。

ただし、みるからに怪しい団体には近づかないのが無難です

管理人も見えない世界を探求する中で、だまされかけた経験があります

多くの方に誤解されているポイントですが、本物の特殊な能力を持った人が皆善人とは限らないのです。



神秘体験も偶然?

「パワースポット」の真偽については、実際に自分が何かを感じたり、経験したりする以外にも、「他の人の体験談」が有力な手がかりになります。

  • 願望が成就した
  • 神秘体験をした
  • 病気が治った

身近な人ほど信憑性は増すはずです。

管理人の親戚の漫画家先生は、住吉大社(大阪市住吉区)での不思議な体験をへて、神仏の存在を信じるようになりました。

住吉大社にまつわる詳しい記事はこちら

 

ただ、これをご利益ととらず、「偶然が重なった」という捉え方をする向きもあります。

英インペリアル・カレッジ・ロンドン数学科名誉教授が執筆した「偶然の統計学」という本は、その代表格です。

 

その内容を要約すると、全世界を対象に100年単位ぐらいで統計をとれば、宝くじの1等に複数回当選するような人は「避けられない確率で出てくる」というものです。

さらにざっくりと解説すると、起こりそうにもない出来事は「地球レベル」「宇宙レベル」に尺度を変えると、実はごくありふれていて、神秘体験の類も「偶然の一致」でひとくくりにできるとしています。

 

確かに説得力のある内容でしたが、この筆者が「偶然の一致」とする根拠もまた、実は「解釈」に過ぎない点が見逃されてしまいがちです

結局は気持ち次第?

パワースポットの代名詞、神社やお寺を参拝する効果について、「気持ちの面が大きい」という味気ない意見も目立ちます。

もちろん気持ちが大切なのは否定しませんが、問題は、そこに「神仏など存在しない」「ご利益を当てにするな」というメッセージが込められている点です。

 

なぜ全国にある神社やお寺がコンビニの数よりも多いのか。

救いのない世界で生きられるほど、人は強くないからです

 

パワースポットの醍醐味は、「運気を好転させる」などの現世利益以外にも、「自然のパワーをチャージする」「神秘や神聖さやを味わう」など、幅広いところにあります。

また、ちょっとした「奇跡」が期待できるのも、パワースポットならではの楽しみではないでしょうか。

ただし、神聖な祈りの場を汚す「マナー違反」だけは慎むべきとの意見も目立ちます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今後、内容を充実させてまいりますので、どうか引き続きご愛読ください。

4 COMMENTS

よもチャン

パワースポット そのパワーとは何でしょう。これは体験しないと分かりません。感じ方は人それぞれです。では何故 体験出来る人と出来ない人がいるのでしょう。 パワーを感じ取る身心が必要だからです。 一言で言えば生き物的共同体感覚があれば受け取り感じられます。言い換えれば自己中心的な人は感じません。

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ueasa1130

貴重なご意見ありがとうございます!
コメントの掲載に不手際があり、遅くなってすみませんでした…。

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匿名

家族がある市の観光課に勤めていて、「パワースポットを作る」という仕事をしている。
適当な謂れのある場所を見つけて紹介するということをやっているが、そうやって紹介された場所よりもパワースポットらしい場所(神社や修験道)は紹介していない。
理由として特定の団体に利益を与えることになる、また立ち入りが危険であるから、らしい。最近のパワースポットはこうやって作られた物なのでは…
パワースポットのある地域にとっては行ってもらう価値はあるけれど、皆が期待するような効果はないと思う。

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ueasa1130

コメントありがとうございます。
少なくともパワースポット探しは「創作活動」ではなく、「発掘作業」でなくてはならないと思いますが、行政はいろんな制約条件に縛られる分、大変なのでしょうね…。
「こっちを立てるとあっちが立たない」といったバランスや「首長の方針」にも随分気を使っておられます。
「本当におすすめだからすぐさまプロモーションしてもいい」、というわけにもいかないはずです。
幸い、本ブログにはそうした「しがらみ」がありませんので、是非参考にして頂きたく存じます。
コメントの掲載に不手際があり、お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

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