沖縄のパワースポットを巡っていると、「ユタ」の名をよく耳にします。
ユタというのは、「フリーランスの女性シャーマン」のようなイメージで、現地では「霊能者のアドバイザー」という捉えられ方をしています。
相談者の悩みを不思議な力で解消したり、家を買うなどの大きな決断に助言を与えたり、あるいは結婚相手との相性判断だったり。
昔は「医者半分、ユタ半分」という言葉があるほど身近な存在でした。
ただユタに向けられる社会の眼差しは、いつの時代も複雑で、「軽蔑と感謝」、「嘲笑と尊敬」のはざまで揺らいでいます。
それを嫌って、沖縄では自分の霊能力を隠している人も多く、ユタが大っぴらに宣伝することもあまりありません。
では、どこに行けば本物のユタに会えるのか――。
今回は、なかなか表舞台には出てこないパワースポットの番人「ユタ」についてまとめました。
Contents
占い師?それとも霊能者?沖縄の【ユタ】とは
ユタは、冠婚葬祭や引っ越しなど、人生の大きな節目に助言をくれる「アドバイザー」的存在として、沖縄を舞台に1000年以上活躍を続けてきた民間シャーマンです。
神様やご先祖様の意見を仲介してくれる「イタコ」のような存在といえば分かりやすいかもしれません。
ユタは「口寄せ」こそしませんが、神や先祖と交信する力があるとされます。
ただ、最近では「タロット占い」や「ハワイ生れの技法」などを取り入れる人もあり、ユタの様相も随分変わってきました。
古式のスタイルになじみのある人からは、失笑が漏れることもあるようですが、そこは時流との関係もあって、一概に「偽物」と断じることはできません。
もともとユタには組織も師弟関係もなく、それぞれが独自のスタイルを持っているからです。
とはいえ、ユタになる「プロセス」や「信仰」はある程度、形が決まっています。
新スタイルのユタは「スピリチュアルブームに便乗したマガイモノ」と捉える向きもありますが、その点でも判断が難しいところです。
【ユタ】になるには
出典:wikipedia(1955年頃撮影)
ユタは、生まれ持って霊能力を備えた人たちばかりで、誰にでもなれるわけではありません。
多くの場合、「夢のお告げ」によって、ユタにならざるを得ない運命を知ることになります。
事実上、夢で神託を受けた人たちに拒否権はありません。
つまり、なりたくてなったわけではない人が多いわけです。
拒否できない理由
ではなぜユタになることを拒みづらいのか。
ユタになる人は、決まってフラフラ町をさまよったり、眠れなくなったりする「カミダーリィ」という試練がやってきます。
「精神疾患の一種」、「神様の意志」など、いろんな見方がありますが、いずれにしても「ユタになる」と腹をくくるまで、その苦しみは続きます。
そして、不思議なことに、ユタになる運命を受け入れたり、何らかの役割を果たし終えたりすると、原因不明の苦しみから解放されるそうです。
つまり、ユタにならぬ限り、カミダーリィは克服することも、逃げることもできないわけです。
【ユタ】の修行 沖縄の御嶽とイビ
ユタの修行は、一人の師匠につくのではなく、複数人の先輩ユタに師事する形をとります。
そこで、聖なる祈りの空間「御嶽」(うたき)と呼ばれる聖地をめぐって、線香の供え方や拝みのイロハを学んだりするそうです。
御嶽のなかには、最も神聖なポイント「イビ」があります。
イビというのは一言でいうと、「神様の降臨する場所」で、信仰の対象となる「石」や神様の依り代となる「木」などがあるところです。
まず神様がご神木に降りてきて、ユタを介して石に同化し、不思議な力が発動すると解釈されています。
この信仰の対象となるイビは、神社のように一定の場所にあるとは限らず、ユタがそれぞれ独自に見つけ出さねばなりません。
先輩のユタが教えてくれたり、夢でお告げが来たりするのが一般的なパターンのようです。
また御嶽は、その大半が森や山のなかに点在しています。
とくに山深いところにある御嶽の場合、「ユタ道」と呼ばれる秘密の道を通ってアクセスするそうですが、この超強力なパワースポットは、そもそも立ち入りが禁じられている地点も少なくありません。
こうした特異な場所は、仮に一般人がアクセスしても「何も起こらない」そうです。
御嶽の石を持ち帰った人が原因不明の病にかかったという笑えない話もあります。
鳴りを潜める【ユタ】弾圧の歴史
ユタというのは、ときに「蔑称の響き」を伴うといいます。
科学的に説明のつかない世界を扱う職業に対し、いつの時代も「アレルギー」を持つ人がいるものです。
そのため周囲が「ユタ」と認めても、そう呼ばれるのを嫌う人も少なくありません。
事実、管理人がかつて現地の知人を介して知り合った女性も、ユタと呼ばれるのをとても嫌がっていました。
特に印象的だったのは、両親が彼女の霊能力をひた隠しにしようとした過去の話です。
彼女がまだ小学生だった時分、霊が見えることを親に相談すると、「絶対に人に言うな」ときつく叱られ、固く口どめされたといいます。
差別の対象に
実際ユタは、古くからいばらの道を歩んだ歴史があります。
琉球王国の時代から大正にかけて、時の為政者らは「ユタ禁止令」を出し、ユタを弾圧する政策を続けました。
また昭和の時代に入っても、ユタは「邪教」に位置づけられ、警察に見つかると拘束されたといいます。
さらに戦後は、地元メディアを含む知識人らがネガティブキャンペーンを展開し、ユタの一掃を試みました。
思想の統制を目指す権力側の立場からすれば、ユタは常に邪魔な存在だったのも確かです。
これは「文化に対する破壊行為」というより、むしろ「人権問題」といえるのかもしれません。
ただし、ユタのなかには高額の「供養料」を請求する者もあったり、鑑定結果をミスリードして相談者の人生を狂わせた人もあったようです。
こうなると、ユタを騙(かた)る偽物の悪行は「深刻な社会問題」ともいえます。
結果して、両者の溝はなかなか埋まらず、ユタに対する賛否も分かれるところとなりました。
日の当たらない【ユタ】
ユタの判断はいわば「劇薬」です。
ユタは人の一生にかかわるような大きな判断をゆだねられるケースが多い分、「失敗が許されない」という厳しい条件を突き付けられてしまいがちです。
事実、ユタがその判断を誤ったとき、救うはずだった相談相手を「不幸のどん底」に突き落としてしまうことになりかねません。
だからこそ、ユタに判断を求める際には、複数人に意見を求めるのが習わしになっています。
いずれにしても、カミダーリィという逃れられない試練を超えねばならない上、時にさげすんだ目で見られ、さらに失敗も許されない職業となると、楽なはずがありません。
逆に言えば、これは詐欺師の温床になりやすい条件ともいえます。
近年は「科学の常識」というバイアスも手伝って、ユタ離れが一段と加速しています。
本場の沖縄ですら、「ユタに一度も会ったことがない」という人が都市部を中心に増えてきました。
副業としてユタを営む人も増加しているようです。
本物の【ユタ】に会うには
以上のことを理由に、古式のスタイルを保つ凄腕のユタに会うのは、とても難しい状態になっています。
もともと、組織も紹介窓口もない職業です。
数百年レベルで続く沖縄各地域の神事同様、接触の機会はもちろん、その技術も文化も伝統も、この先急激に失われていくに違いありません。
逆にお金儲けを企てる輩が「紹介窓口」を立ち上げる可能性もありますが、そうなると、「本物かどうか」の見極めが益々難しくなってきます。
こうしたなかで唯一、伝統派のユタに合うには、現地の知り合いや大学などの研究機関を頼る以外、有力な手段は見当たりません。
ものは試しと公的な機関にも問い合わせてみましたが、つれない返事が返ってくるばかりでした。
また、街角で「判断」「判事」という看板をみつけても、「地域の人しか鑑定しない」という噂も漏れ聞こえます。
様変わりする沖縄とユタの伝統
ともすると、ユタはすでに一定の役割を終えた存在なのかもしれません。
沖縄はいま、県内外の投資家が土地を買いあさり、バブルさながらの様相を呈しています。
超巨大な複合商業施設がそびえたち、内地のチェーン店舗が軒を連ね、町の新陳代謝も激しくなっています。
海外からの観光客や移住者らも押し寄せるようになり、20年前に比べて明らかに様変わりしました。
そんな変化のどさくさに紛れ、地元の神様が宿るいにしえからの聖地でさえ開発の手が伸びないとは言い切れません。
実際、巨大資本の犠牲になり、この地上から消滅してしまった聖地も存在します。
それを是とするか、非とするか、あるいはバランスの取れた落としどころを見つけるか――。
そこは、一人ひとりの価値観にゆだねられるところですが、沖縄の民族文化が途絶えるという意味からも、ユタを丸ごと忘れていくのは「余りにももったいない」と思えてなりません。
なお、パワスポ編集局では、「沖縄最強パワースポットまとめ記事」なども掲載しています。
霊感の有無が分かる「斎場御嶽」をはじめ、定番から穴場まで網羅している完全保存版です。
各パワースポットの個別記事では、アクセス方法などを含めた詳細まで深掘りして執筆しています。
興味のある方はぜひ読んでみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。